みなさん、こんにちは。
今日のランチは何を食べる予定ですか?
美味しいご飯を気の合う仲間や好きな人と食べる時間は
本当に楽しいですよね。
私は小学校5年生の時に、体重が19キロしかなくて、
その頃から担任の先生が毎週家庭訪問に来てくれるようになりました。
子どもだった私は単純に、
私の体重が少な過ぎるから体を心配して来てくれているのか、
母が美しい人だから会いに来ているのかも、
って何となく思っていただけだった。
学校の帰りに担任の先生が時々、
「他の友達や、お母さんには内緒だよ。」って
当時、最寄り駅の前にあったラーメンを食べさせてくれたり、
不二家でお菓子を買ってくれたり。
大人になってから、あぁ、先生は両親の虐待を疑って
頻繁に家庭訪問に来てくれていたんだな、
って気が付いたのだけれど。
小さかった頃の記憶。
私は小学校の前は、幼稚園に一年間通っただけだったんだけど、
多分その前の記憶なんだと思う。
母と二人で過ごす時間。
朝は大体、納豆ご飯だったみたい。
お腹が空いているから、納豆の豆の部分を食べたかったけれど、
母が私のご飯に載せてくれるのはいつも、
刻んだネギの部分を少しだけ。
もう少し大きくなってから母に質問したことがあった。
「どうして私はお豆を食べられないの?」って。
母は、
「子どもは豆を食べてはいけないから。」
と答えていたっけ。
ランチは大体、インスタントラーメン。
小さなお椀に、数本のラーメンを入れて貰えるだけだったから、
夕飯までいつもお腹を空かせてた。
子どもだったから、それが虐待なのかもどうか分からず、
早く父が帰って来て夕飯を食べたいなぁ、
と毎日毎日思っていた記憶がある。
これも後から気が付いたけど、父がいたから夕飯は
普通に食べさせて貰えていたんだろうね。
両親、または父親か母親のどちらかに虐待されて育つ子どもは、
もしかしたら虐待されていたということに気が付かないまま、
心にトラウマを持ち続けて大人になって、
あるイベントをきっかけに鬱になったり、
自分の子どもを知らないうちに虐待していることもあると言います。
私が心から、
あぁ、やっぱり私は母に虐待されていたんだ。
って気が付いたのは、実は今年の二月。
母が亡くなった後でした。
予想していた悲しみが何も湧かなくて、
それどころか何とも言えない開放感が広がって、
「あの人は誰だったんだろう?」としか思わなかった。
涙も出なかったし、
わざわざ帰国してお葬式に参加したいとも思わなかった。
それをカウンセラーに話したら、
あなたはやっと、母親に愛されていなかったことを受け入れたのです。
それは子どもの立場からすると悲しいことで、
大抵は受け入れることを脳が拒否します。
あなたの母親にどんな事情があったとしても、
子どもを虐待していい理由はどこにもありません。
そんな母親をあなたは愛すことが出来なかった。
子どもだから親を愛さなければいけないということは無いんです。
あなたの今の感情は、まったくおかしい感情ではありません。
むしろ今、あなたはあなたが本来持つべきだった感情に
気が付くことが出来たんです。
母親から呪縛から解放されたんですよ。
そんな風に説明してくれました。
母の誕生日、母の日、クリスマス。
母が喜びそうなものを見つけて贈っていた自分。
LINEのビデオを通して、
アメリカ時間では夜中の二時過ぎに目覚ましをかけて起きては、
母が亡くなる直前まで面会をしていた自分。
お母さん、愛してるよ。今までありがとう。
殆ど意識がなくなった母に、そんな言葉を言い続けていた自分。
どんなに虐待されても、子どもは母親を愛せるのか?
私は自分の体験を通して、
いいえ。愛せないし、愛さなくて良い。
と、やっと答えが見つかりました。
母を愛していると言っていたのは演技ではないと思うけれど、
子どもだから親を愛さなければいけないんだ。
という一般的概念に縛られた脳のトリックから
抜け出すことが出来なかったのだと今は思います。
Toxic relationshipは、相手が例え親であろうが、
あなたのパートナーであろうが、
あなたに害を与えている関係は断ち切る勇気を持って下さい。
知らない間にそれらのポイズンは、あなたの心を病気にしてしまうから。
愛してくれない相手を愛する必要はない。
もっと早くそれに気づいていたら、と思う。
だからもしあなたがその被害者なら、
今すぐ、断ち切ってくださいね。
あなたは愛される価値がある尊い存在なんです。
良い一日でありますように。
Love,